
KOJASANGYO
古 謝 産 業
会社情報
会社名 KOJA SANGYO
古 謝 産 業
設立 1965年頃
所在地 沖縄県中頭郡嘉手納町字水釜304
TEL: 098-956-2284
FAX: 098-957-0016
事業内容 一般廃棄物収集運搬業
嘉手納町内所在の事業系
一般廃棄物の収集運搬
嘉手納町内在住の外人住宅の
一般廃棄物の収集運搬
URL http://kojasangyo.wix.com/kojasangyo
休業日
日曜日、木曜日、正月元旦
台風時は暴風域及び強風域でも
風速15メートル以上の場合は
休業の場合があります。
祝祭日が日曜日、木曜日以外の場合は
通常通りの営業となります。
Company Profile
1965年 昭和40年頃 終戦間もない米軍統治下の沖縄
近所に建てられた米進駐軍の住宅から排出される家庭ゴミの処理を
父古謝得明が家主より依頼を受けたのがきっかけであった。
その当時、僅か5件であった。
その中から、衣類、アルミ缶、アルミ鍋、ステンレス製包丁などの
資源ゴミを分別収集し、海岸近くに掘られた投棄場へ処理。
その後、外人住宅の建築ラッシュで兄弟親類で始めた建築業が
多忙になり、ゴミ処理を母である古謝静子が受け継いだ。
昭和42年頃までには、水釜地域の殆どが外人住宅となった。
向こう三軒両隣も、お向かいさんも後ろも 周りは外人ばかり。
当時 そうした民間地域の外人住宅に住めるのは、将校などの
階級の高い米軍人のみで、正月などは一緒に家で祝いました。
朝鮮戦争を機に拡大した嘉手納基地は4000メートル級の
滑走路を2本備え東洋一の基地となった。
1960年12月から始まった第2次インドシナ戦争「ベトナム戦争」へも
この沖縄の嘉手納飛行場からも、毎日のように
爆撃機が飛び立っていった。
1975年4月まで続いた。
トヨタペカップ1台でスタートしたゴミ処理も
1972年 昭和47年5月15日沖縄が日本復帰しドルから円へと
通貨も変わり、ゴミ処理料金も1件/月¥1,500へとなった。
その頃には、将校はフェンスに囲まれた安全な場所へと移り
べトナム戦争帰りの、品の悪い米軍人や軍属が住付いた。
ベトナム戦争の敗北もあり、当時の米軍人軍属は貧しく
ゴミ処理代金を払えずに、夜逃げする外人も多かった。
それ以降、住宅管理事務所へ¥300の手数料を支払い
家賃と一緒にゴミ処理代金も集金してもらった。
147件×¥1,200が売り上げだった。
1983年には、嘉手納米軍飛行場のゴミ収集も5年契約で
請け負う事になり、2トントラックも1台増やし
米旅客機が入って来るたびに、朝、昼、夜、関係なく
嘉手納飛行場のターミナルへと機内ゴミの回収へ行きました。
別の会社へ就職していた私も古謝産業へと入社。
平成2年には、嘉手納町からの許可制に代わり
乱雑していたゴミ収集業社も4社へとなり
その後、委託業者2社と許可業者2社に区別され
それぞれ収集区域分けされた。全国でも珍しいですが
業者間の争いを避けるための、町の計らいだったのでしょう。
平成17年 これまで個人名だった許可証も
私が引き継ぎ、古謝産業 古謝一政としてスタート。
平成20年には、嘉手納町指定のゴミ袋が町議会により可決し
同年10月から施行された。
多くの住民や企業から苦情が殺到し、その対応に私たち業者も
四苦八苦しました。
特に外人には苦慮させられ、それは今でも嘉手納へ新規入居
してきた外人さんには、苦労させられています。
現在に至るまで
指定袋の未使用や無分別などのトラブルは
変わらず続いていますが
私たちも、負けることなく頑張っています。
そして、これからも、続いて行くのでしょう。
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